JAさがみ

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さよなら、スーちゃん

  • 2015年10月1日 木曜日
  • 野良の特派員報告

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日大の名物牛にお別れ

 

JAさがみでもお世話になっている日本大学生物資源科学部。そこで飼っていた日本でも珍しい種類の牛が、病気と高齢のために8月、出荷されていきました。

そのときの気持ちを綴った原稿が、飼育を担当していた学生さんから届きましたので、掲載します。

学生たちから「スーちゃん」と呼ばれ愛されてきました。15年生きて、研究と畜産振興の力になったスーちゃん、いまごろは空の上の牧場でのんびりと牧草をはんでいることでしょう。
(写真は、大学の農場パドックでのびのびと草を食べるスーちゃん(上)・
家畜車に乗り込む後ろ姿のスーちゃん(下)・同学部提供)

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su-01

日本大学生物資源科学部の付属農場で飼育していた無角ヘレフォードのメス「スパイデール」が、8月27日に出荷されました。平成12年2月生まれで15歳。「スー」と呼ばれて愛された牛の、最後の1年を報告します。スーは、動物資源科学学術研究部の牛引きパートで飼育していた、農場の見本家畜でした。私は牛引きパートに所属する2年生です。ふだんの飼育管理はパートのメンバー全員で担いますが、秋の学園祭で1年生が一人一頭を担当して一頭引きを披露するという伝統があり、私は昨年、スーの担当になりました。

担当になったときすでに14歳で、周囲からは「もう長くはないかもしれない」と言われていました。スーを苦しめたのは目の病気でした。秋になるころから右目に膿が出るようになり、学園祭があった11月には、右目は腫れで開かなくなっていました。そこから治療を開始。最初のころは閉じた目から出てくる膿を拭き取る程度でしたが、冬を終えて暖かくなりはじめると右目からウジがわくようになったため、目の周りを摘出し、テーピングを始めました。4月ごろには周りが壊死し始めたため、生理食塩水での洗浄を行いました。口の周りにもテープを巻くため、徐々に食べられなくなり、700kg近くあった体重も500kgほどまで減りました。

牛引きパートではスーの進退を決める会議を行いました。先輩方は何頭かの牛の死に目に立ち会っており、早めに安楽死したほうがいいのではないかという意見もありました。ただ、見本家畜であるヘレフォードがいなくなってしまうため、引き続き飼育することを確認しました。ヘレフォードの後継を作るためにスーから卵子をとって受精卵を作り、大きめの搾乳牛に移植するという案もありましたが、すでに発情はこなくなっており、失敗に終わりました。

スー自身が治療を嫌がるようになると、治療はさらに大変でした。治療は飼育している場所から少し離れたところで行っていましたが、回数を重ねるうちに治療に気づき始め、スーを一頭だけで動かそうとすると動かなくなってしまうため、ヘイキューでつったり、他の牛がパドックに出るときについて行かせるなど苦労が続きました。

su-02牛は大学の所有なので、パートで進退を判断することはできません。進退を決めるなら早めに決められないかなあと思っていたころに、出荷となりました。

出荷当日、トラックに向かって連れられていくスーはいままで拒んでいた道をスタスタと歩いて行きました。何かを悟っていたのか鳴かずに左目はあさっての方向を見ていました。私のほうは、いままでのことが思い出されて涙があふれましたが、スーを無事送り出すことができ、安心しました。農場にスーがいなくなってしまい、少しさびしさはあります。でも、私自身はスーの担当になれてとても勉強になり、本当に良かったと感じています。

日本大学生物資源科学部 動物資源科学科2年生
動物資源科学科 学術研究部 牛引きパート
長谷川穂波

 

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